大池寺の由来
大池寺は、今から約1250年前(奈良時代末期)行基がこの地を訪れた際、日照りに悩む農民のため、灌漑用水として、「心」という字の形に4つの池を掘り、その中央に寺を建立し、一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝えられています。寺の名を「邯鄲山青蓮寺」といい、天台宗のお寺でありました。その後、鎌倉期に禅宗が日本に伝わり、無才智翁禅師がこの地を訪れて青蓮寺を禅宗に替えました。
天正5年(1577)戦国の兵火により、境内全域が焼失しましたが、不思議にも行基菩薩の作なる仏像のみ残りました。寛文7年(1667)京都花園妙心寺の丈巌慈航禅師が当地を訪れた際、草庵の仏像を見て寺の再興に当たり、山号寺名を「邯鄲山青蓮寺」から、周囲の大きな池に因み「龍護山大池寺」と改名しました。
境内には、「釈迦如来坐像」を安置する本堂のほか、書院・茶室・庫裏(くり)などが建てられていて、境内いたるところに風情ある庭があり、四季を楽しむことができます。特に書院の東側にある蓬莱(ほうらい)庭園は美しく、人々を魅了すると定評です。
大池寺は、今から約1250年前(奈良時代末期)行基がこの地を訪れた際、日照りに悩む農民のため、灌漑用水として、「心」という字の形に4つの池を掘り、その中央に寺を建立し、一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝えられています。寺の名を「邯鄲山青蓮寺」といい、天台宗のお寺でありました。その後、鎌倉期に禅宗が日本に伝わり、無才智翁禅師がこの地を訪れて青蓮寺を禅宗に替えました。
天正5年(1577)戦国の兵火により、境内全域が焼失しましたが、不思議にも行基菩薩の作なる仏像のみ残りました。寛文7年(1667)京都花園妙心寺の丈巌慈航禅師が当地を訪れた際、草庵の仏像を見て寺の再興に当たり、山号寺名を「邯鄲山青蓮寺」から、周囲の大きな池に因み「龍護山大池寺」と改名しました。
境内には、「釈迦如来坐像」を安置する本堂のほか、書院・茶室・庫裏(くり)などが建てられていて、境内いたるところに風情ある庭があり、四季を楽しむことができます。特に書院の東側にある蓬莱(ほうらい)庭園は美しく、人々を魅了すると定評です。












滋賀県甲賀にある「厄除け」で有名な大池寺へ行ってきたでござる。
道の駅「あいの土山」のお向かいにあったので、たいへんわかりやくかったぞよ。ひっそりとした参道をくぐり抜けると、拝殿に飾られ
た『大名垂宇宙』という文字が目に飛び込んできた。くのいち、たいへん気になったので神社の方にこの読み方と意味を尋ねてみたでご
ざる。読み方は、漢詩読みで「大名宇宙ニ垂ルル」と読み、「その名は、広大な宇宙にまで、知れ渡った」という意味だと教えて
下さった。なるほど…、坂の上の田村麻呂公の偉大な功績は、宇宙にまで名だたるものであったというメッセージであるかと、くのいち
は解釈したでござる。
厄除けの太鼓橋を渡り、奥の本殿までの雰囲気はなんとも空気が澄んでいて、まさにパワースポットという感じ。傍を流れる田村川は、
この日は台風の後とあってか流れも迫力満点で、川の音が身体中に響くようで、立っているだけで浄化されていく感覚であったぞよ。
こちらの神社は、多くの年間行事が開催されているが、中でも「田村祭り」(田村祭りは通称で、正式名称は厄除大祭)は毎年2月17日から19日までの3日間開催され、「厄除
の大神」として厚く信仰されていて、大盛況なのだそうだ。是非ともご家族揃って参拝されて、ありがたいごりやくをいただかれたし。
編集部 くのいちこころ

大池寺詳細
■ 基本情報
- 名称:大池寺
- ご利益:極楽浄土
- 住所: 滋賀県甲賀市水口町名坂1168
- 電話番号:0748-62-0396
- 拝観時間:9:00~17:00 冬期は16:00まで
- 拝観:有料
- 駐車場:有り
- アクセス:
車をご利用の場合
新名神 甲賀土山インターより約15分
新名神 信楽インターより約20分
名神栗東インターより約30分
八日市インターより約30分
名阪上柘植インターより約40分
亀山インターより約30分
電車ご利用の場合
JR琵琶湖線草津駅より草津線に乗り換え三雲駅下車タクシー10分
近江鉄道水口城南駅下車タクシー
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