間々観音の由来
愛知県小牧市にある間々観音(間々乳観音ともいわれています)は、1492年(明応元年)に創建されたお寺です。御本尊は弘法大使空海にちなんだ十一面千手観世音菩です。お乳のごりやくがあるとされていて、国内唯一の『お乳の神様』『おっぱい観音』として広く知られています。
永正2年(1505)小牧山中腹に改めて建立されました。それから約70年後の天正年間(1573~1592)に、小牧山を砦として争いの時代となり、飛車山龍音寺住職祖玄和尚(浄土宗)によって合祀されました。尾張三十三観音の第二十四番札所であり、かつ尾張西国三十三観音の第五番札所でもあります。
縁起
明応元年(1492)狩人が小牧山で狩りをしていて、八頭いるうちの七頭の鹿を射ました。射られた鹿はたちまちに七つの石と化し、辺りには五色の雲が現れ、四方に御光を放つ観音様の御尊像を発見しました。山には大音響が轟き渡り、かすかに「小牧なる飛車の山の狩人は八つある鹿を七ついしかな」という声が三度聞こえてきました。側で見ていた村人によりその霊験が伝え広まり、村人と狩人のみで草堂を建てました。その後狩人は殺生の業を悔い改め、反省して髪を下ろし出家し、日々尊像に奉仕することとなりました。その後明応3年(1494、)突然現れた旅の老僧が、草堂へ参拝した際に尊像を見て驚きます。「この尊像は、空海(弘法大師)が入唐するとき、鎮護国家を祈って自作した金銅仏で、大師がはるかな異国から、日本泰平を日々懇祈なされたもの。大師が帰られた後は、密室に移して奉仰されたものである。大師亡き後、高野山に奉納された霊仏で、今ではこのことを知る者はほとんどいないであろう。」と語ったことが、御寺の縁起に記されています。